2015年8月20日木曜日

ラビング・ユー・ベイビー/Ain't That Loving You Baby


ラビング・ユー・ベイビー
/Ain't That Loving You Baby

60年代とひとくちにいうけれど、1964年を境にして前と後ろでは随分違い、人によって思い浮かべるシーンは違うはず。

それほど、政治をはじめ、音楽もサブカルチャーもあっという間に激変した年代だと思います。

その年、エルヴィス映画の最高傑作「ラスベガス万歳」が上映され、テーマ曲は長く親しまれ、ラスベガスに鳴り響きました。

一方、ビートルズが映画「ヤア!ヤア!ヤア!」で世界にその姿を焼き付けました。

オールディズと呼ぶとき、まだまだこの年も含んでしまいます。

オールディズの定義は、


  • かってヒットした曲であること
  • その後忘れ去られていた曲
  • 覚えやすいメロディラインでノリが良く
  • なにより歌詞がたわいなく
  • それゆえ当時のオーソリティから軽薄視され、軽視されながらも
  • 大衆に喜びを与えた曲

つまりビートルズもそのままオールディズの定義にあてはまります。

ビートルズは1964年、チャートベスト5を独占するなど、確かにブレイクしていますが、グラミーを手にしていません。エルヴィスも同じです。

つまり当時のグラミー賞は売れ行きを全くといっていいほど考慮しない賞だったのです。

もし売れ行きを考慮していたなら、フランク・シナトラが「夜のストレンジャー」で受賞することもなかったのかも知れません。

日の目を見ることのなかったボブ・ディランが大舞台に登場したのも1964年です。この年、前年のビルボード2位に躍り出たシングルヒット風に吹かれて」を収録したアルバム「時代は変わる」をリリース、時代の代弁者、「フォークの貴公子」として大きな支持を受けます。振り返ればオールディズの定義から外れた活動に徹しています。

この成功は、稀代のプロデューサー、フィル・スペクターの影響を受けたビーチ・ボーイズの変化と合わせてオールデイズよりだったビートルズに大きな影響を与え、やがてスタイルを変えていきます。

逆にエルヴィスは、サントラ盤を除いて新曲をリリースしなかったことで、「過去の人」にならざるを得なくなります。シングルは過去に収録したものばかり、この年を境にエルヴィスは人気に陰りが出はじめて、68年カムバックスペシャルまで低迷期に突入します。マーケティングの失敗ですが、だからと言ってオールディズのテリトリーに入ることはありませんでした。





この年にリリースされたシングルのひとつが、<ラビング・ユー・ベイビー

録音は1958年6月。<恋の大穴><アイ・ニード・ユア・ラブ・トゥナイト>と同時に録音されたものです。典型的なリズム&ブルースを若々しいシャウトで聴かせます。しかし、1958年にリリースされていれば違う印象だったと思いますが、ビートルズをはじめリヴァプールサウンドがチャートを席巻している真っ只中に投げ込むといかにエルヴィスといえどもさすがに違和感があったと思います。

エルヴィスは常に先駆者でした。それゆえ、どうマーケティングしていいのか、デビュー当時から周囲を混乱させています。それを凌駕したのは、エルヴィスならではの人間力に尽きると言っていいでしょう。その力でオールディズを寄せ付けなかったのです。ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシスとは違ったのです。

日本では「ウェスタンカーニバル」で、紹介されたこともあり、初期の曲がオールディス扱いされますが、これは当時の日米の情報の時間差が影響していることに起因します。エルヴィスデビュー&ブレイク当時2年遅れの時間差がありましたが、ビートルズになると1週間差にまで短縮されています。ポール・アンカ、ニール・セダカがチャートに登場したのは、エルヴィスが軍に入隊した後です。つまりアメリカで2年違っていますが、日本では同時に紹介された形になっているのです。時の谷間を爆走したエルヴィスは日本の戦後を考える上でも貴重な存在だと言えます。

思えばひとりで、遠くまで来たものだと感心するのです。フィル・スペクターが「(自分が関われば)エルヴィスだったらなんでもできた」と語ったのが感慨深いです。